マルタに1ヶ月、アイルランドに1ヶ月のオトナ語学留学をする予定でしたが、コロナウイルス(COVID-19)の影響で緊急帰国をする判断となりました。語学学校の休校が決定したのが2020年3月13日。
マルタは緊迫状態、強制隔離も
新型コロナウイルス拡大の経緯
- 2019年12月31日:武漢で原因不明の肺炎が発生
- 2020年1月7日:新型コロナウイルスと判明
- 2020年1月12日:中国で初の死者を確認
- 2020年1月13日:中国以外で初の感染確認
- 2020年1月16日:国内初の感染確認
- 2020年1月20日:ヒトからヒトへの感染が判明
- 2020年1月23日:武漢を封鎖
- 2020年1月27日:中国人の団体ツアー旅行が禁止
- 2020年1月28日:日本人の感染者を初確認
- 2020年1月29日:武漢からのチャーター機第1便
- 2020年1月31日:WHOが緊急事態宣言
- 2020年2月1日:日本で「指定感染症」に
- 2020年2月5日:ダイヤモンド・プリンセス号で集団感染が判明
- 2020年2月8日:武漢在住の日本人が死亡
- 2020年2月11日:病名を「COVID-19」と命名
- 2020年2月13日:国内初の死者
マルタでの感染拡大の経緯
- 2020年3月3日:マルタ初の感染者家族がイタリアから到着
- 2020年3月3日:マルタ初の感染者3件を政府が発表
- 2020年3月11日:マルタ政府が14日強制隔離を発表(€1000の罰金)
- 2020年3月13日:マルタ政府が渡航禁止令2020を発表
- 2020年3月16日:マルタ政府が強制隔離の罰金を引上げ(€3000の罰金)
- 2020年3月21日:マルタ国際空港の閉鎖
マルタ留学の経緯
- 2020年3月1日:マルタに到着
- 2020年3月13日:休校が決定&2週間の強制隔離対象に
- 2020年3月14日:強制隔離期間(フロアメイトも対象)
- 2020年3月15日:3月1日渡航者の強制隔離期間終了
- 2020年3月16日:帰国に向けマルタを出発
- 2020年3月17日:成田空港検疫所はダウン
- 2020年3月18日:出社自粛の要請、リモートワークへ
マルタの語学学校で休校を言い渡され、フロアメイトとベランダでこれからの話をしました。まだ語学学校に通い始めて2週間、たどたどしい英語で何とかコミュニケーションをとりました。
休校と同時に知らされたのが、日本からの渡航者の強制隔離のこと。一切の外出を政府から禁じられ、日本渡航者と同じフロアに住む仲間も巻き添えになったのです。フロアメイトは「気にするなよ」と声をかけてくれました。
マルタの強制隔離とは
マルタの強制隔離は、一切の外出を禁ずるというもの。そのニュースを知らされ、最初に思ったのが「食事はどうするのか」ということ。ニュースでは政府から支援があるとされていましたが、強制隔離の対象者であることさえ連絡がない現状、支援などあるはずもありませんでした。幸い、2週間の隔離期間であったものの、渡航日からカウントすることが出来たので、1日2日のみの辛抱。残り物を食べながら、家でゆっくりしていました。しかし、14日頃に辿り着いた日本人留学生は、食料もなく、英語もわからずに困惑している様子がTwitterなどで見て取れました。
強制隔離中は、外出をすると罰金が取られます。日本円で、約13万円(1000ユーロ)です。さらに、その数日後、罰金が約39万円(3000ユーロ)に引き上げられました。日に日に規制は厳しくなり、強制隔離の対象者が家にいるか「在宅確認」を開始。いよいよ緊迫した状態となって行きました。その頃には、航空閉鎖の噂も飛び交い、留学生は辛い現実と見通しがつかない未来に絶望を感じざる負えない状況でした。
強制隔離期間の過ごし方
マルタは、温暖な気候の島国。日本で言うところの沖縄のような印象があるリゾートアイランドです。そのため、語学学校のアナウンスも「家でゲームやNetflix、自分の好きなことをして楽しんで」と言う温和なものでした。語学学校の先生たちの配慮だったのかもしれませんが、考え方ひとつで楽しむことができることを知りました。
強制隔離期間の過ごし方は、語学学校のアナウンス通り、ゲームやNetflixを見て過ごしました。とにかく焦らず、冷静にいることを心がけながらも、マルタ現地のニュースや大使館の情報を集め、これからどうして行くべきなのかを考えていたのです。
帰国することも視野に入れつつも、やはり「せっかく来たのだから帰りたくない」という思いが、なかなか航空チケットを予約ができなかった理由です。
強制隔離期間終了し、マルタの海へ
強制隔離期間が終了して外に出ると、語学学校の生徒が「これからビーチに行くけど一緒に行こうよ」と誘ってくれました。強制隔離期間が終了したと言っても、政府から「外出OK」と言う連絡が来るわけではないので、少しだけ不安でしたが、ビーチに行くことにしました。
海に出ると砂浜で横たわっている人が多くいて、コロナの影響は大きくないのではないか……そんな錯覚をするほどでした。マルタはまだ春なので、海の水温は低く、海水浴を存分に楽しめる状況ではありませんでしたが「今日で最後かもしれない」と思いながら、めいいっぱい楽しむことに。水中メガネで海の中をのぞくと、そこには平和そうにカラフルな魚たちが泳いでいました。
帰国に向けマルタを出発
マルタの帰国を決めたのは、帰国する前日でした。海から帰って、食事をしながらゆっくりと過ごしていました。その日の夜、語学学校の日本人スタッフから連絡が届いていることに気づき、スカイプを使って会話することができました。
マルタの次に行く予定だったアイルランドは休校が決定し長引く可能性があること、空港閉鎖もあり得るので早めに帰国するよう伝えられました。ここでもやはり迷いましたが「帰るのも勇気だ」と言い聞かせて、すぐさまチケットを購入、宿泊施設のチェックアウトを担当者に言い伝えました。
たった2週間なのに帰国日に涙
チェックアウトが完了し、4週間の修了証書を受け取りました。
本当にあっけない2週間でしたが、全てが濃密で貴重な体験が出来ました。強制隔離をされ、帰国を余儀なくされましたが、行ったことに後悔はなく、たくさんの友達が出来ました。行く前は不安で、人との会話が苦手な所謂「コミュ障」な自分が、友達なんて出来るのだろうかと思っていましたが、空港に向かうタクシーを多くの人が見送ってくれました。たったの2週間で、こんなに涙が出来るのは本当に幸せなことなのだと思います。
マルタの空港は厳戒態勢
マルタの空港は、多くのスタッフがゴム手袋をして、マスクをしている状況でした。マスクが出来ないインフォーメーションスタッフとは、乗客と一定の距離があくように簡易フェンスが設置されていました。乗客も多くの人がマスクを着用、マスクがない人はスカーフなどで口元を覆っていました。航空機内でもコロナウイルス(COVID-19)についてのアナウンスが流され、感染予防を訴えていたのです。
成田空港検疫所が機能停止、全員が素通り
成田空港に到着して驚いたのが、スタッフの多くがマスクをしていなかったこと。そして、検疫所は機能しておらず、他の空港で行なっているサーモグラフィーなどの検査もありませんでした。マルタが緊迫していた雰囲気だった反面、日本のゆるさに安心する一方で、少しガッカリ感や不安感がわいていました。
後から知ったのですが、成田空港の検疫所で職員が試薬を落とし汚染されると言う事故が発生したことが、検査を停止していた理由でした。ただ、そんな理由があったとしても、少しの検査もなく、海外からの渡航者が東京都をはじめ、その他の地域に帰って行ったこととなると、よい想像は出来ないものです。
成田空港から公共交通機関で帰宅
特に誰に何を言われることもなく、空港も厳戒態勢と言う感じではなかったので、帰り際にスターバックスを購入し、公共交通機関で帰宅しました。日本でもコロナウイルス(COVID-19)感染者は増えていると聞いていたので「本当にいいのかな」と思いながら、帰路につきました。
海外渡航の翌日に満員電車で出社
海外渡航から帰国することは、事前に会社に伝えていましたが、特に何を言われることではなかったので、出社することにしました。日常に戻り、満員電車に揺られて出社。マスクは着用しているものの、周囲の人はあまりマスクをしておらず、感染の心配はないかもしれないという感覚でした。
ただ、会社につくと担当者から「出社自粛はして、2週間はリモートワークをしてください」と連絡が。そのまま帰宅し「自主隔離」が始まったのです。
今後はオーバーシュートの可能性も
成田空港の検疫がなされなかったこともあり、感染原因が不明な爆発的患者数の増加(オーバーシュート)が今後は増える可能性があると言う話もあります。日本では経済とのバランスもあり、野外の大規模イベントは復活する方向でも検討が進められています。
日本、EU、アメリカ、オーストラリア……など世界全体で問題が収束しなければ、語学留学やワーキングホリデーは、また遠い存在になってしまうのでしょうか。
体温計が売切れで入荷予定なし
3月23日、相変わらずドラッグストアにはマスクを買い求める人の行列が絶えない日本。マスクだけではなく、トイレットペーパーなども商品棚から消えているのが現状です。また、困ったことに体温計も一切ありませんでした。体温計がありそうな店舗をまわったのですが、いずれも入荷予定なし。局所的なのかもしれませんが、コロナウイルス(COVID-19)に関連する商品が品薄状態になっており、改めて異常さを感じました。